ハリー・ポッターを観て・・

「アズガバンの囚人」を嫁さんと観に行きました。
岡山の平日の最終回は、30人程度と寂しい限り。
福武チェーンでしたから、「経済は経済の僕」という会長に、映画という文化にも力を入れて欲しいと思うおやじでありました。(福武会長ごめんなさい)

この映画を観て感じたことは、スゲエぞ、このマンパワー(女性も含む)だなということ。ひとつのモノをかたちにするのには、どれだけの労力、苦労、涙があったことでしょう。
だけど、ただ映画を楽しんでいる人には、裏方のことがわからないものです。
どうも総務課を経験しますと、日の当らない場所といいますか、脚光を浴びない部分の苦労を類推してしまいます。

イベントでもそうですが、段取りが9分です。そして撤収までがイベントという意識で取り組まないといけません。雑誌にしても、校了から印刷・製本。そして配布で終了という流れです。

つまり「かたち」をつくるということは、おいしいところだけ取れないのです。
「おいしい」ところだけが欲しい人には「かたち」が作れません。

ラドクリフくんは、自分の人生の時間を提供することで、私たちに夢を与えてくれています。彼の時間は取り戻すことが出来ません。学校に行く時間もなく、同世代との交流も投げ出して彼は人生を賭けています。
彼の一生懸命さが私たちに感動を与えてくれるのです。

私たちも人を感動させようと思えば、一生懸命がまずは条件となります。
それを支える技術・知識・段取りも大切ですが、「ハート」が大切です。

それにしても、子供には難しいのでは思える内容でしたね。
おやじは、推理小説とSFを小学生から中学生で読破した変人でしたから、タイム・パラドックスにしろ理解は楽ですが、「なんのことやら」と思った人もいたかもしれません。
創る側も高度なレベルが必用ですが、創る側のレベルが高いほど相手に求めるものも高くなりがちです。
受け手が楽を出来る時代でもなくなったということですね。