占いの考え方(西日本運勢研究会)について ~ 占いは人の数だけある
⇒ 幸せになるためのソフトとして活用しよう!
占いはその人自身が、ひとつの流派です
私のご紹介のところでもご説明させていただきましたが、私は企業に勤務してから占いの世界に入りました。そこで感じたことは、占いの解釈は、占いの先生の数だけあるということです。
たとえてみれば、音楽がわかりやすいかもしれませんね。「オレはロック」だと熱く語る人もおられますが、それは、「その人個人の感性と解釈」なのです。
だから、尊重されなくてはいけませんが、正解も間違いもないという世界なのです。
音楽を学び、ロックに傾倒し、人生をロックに賭けた音楽家がおられたとして、その人の受け取り方と発信は独自のものです。偉大なる音楽家ほど他人を尊重していると思いますが、解釈に対しての批判があるという世界ではないと思うのです。
皆さん、それぞれに好きな歌手がいると思いますが、その人の声や考え方であったり、見栄え(ない私にはうらやましいところですけれど)、音楽性の共感などから応援をされるのだと思います
たくさんの師匠に学び、いろいろな占いの先生方に教えを受けるほど、「あぁ、それぞれなんだ」とあらためて思った次第です。
ベートーベンの解釈も、カラヤンとカール・ベ―ムで異なるのです。好きな演奏を選べばよいのであり、カラヤンが間違っているという指摘はないと考えています。
私たちの提言
私たち、西日本運勢研究会が提言するのは、「幸せになるためのソフト」として、占いを活用していただきいということです。
この研究会の提言ですから、他の占いの流派、他の先生方と異なる解釈があるかもしれません。そこは、皆さまがドライにご判断ください。
心に響く音楽として占いがあるならば、私たちの曲の感性をこのホームページでご紹介してまいります。
西日本運勢研究会では、「良い」「悪い」を判断する占いとサヨナラしました。
「占いとはなんだろう?」を考えながら、占いの勉強をしてきました。
「何のために」という定義がないと、自分の占いの軸がブレると思ったからです。また、錬金術のように根拠がない、役に立たないものは見捨てられてきた歴史があります。21世紀にも残っている占いには役割があるに違いない。
その役割を求めました、二代目の鑑定師として。まだまだ未熟者でありますが、学ぶうちに占いの役割や、本来の使い方はこうではないかというものが見えてきたのです。
西洋の占い、中国由来の占い、日本の占い・・・人間が考えたものですから、すべてに理由があります。
どの占いにも共通しているのは「幸せになりたい」という人間の持つ希望です。
不幸になりたいから出来ている占いはありません。すべて、占いは「幸せになりたい」からであり、その中には「よくないことはしない」という考えも含まれています。
ということは、占い師・占いの役割は「良い」とか「悪い」を判断することではありません。どういうことかというと・・・
わがままな人は = 裏表がないから正直
根気の続かない人は = 気分転換が上手
短気な人は = 決断が早い
・・・というように、持っている素質や能力があれば、それを活用する方向に使うようにアドバイスすることが占いの役割であり、「良い」「悪い」という判断をしても意味がないからです。
名前に「良い」とか「悪い」はない。当たるのが目的ではありません。
たとえば、姓名判断で鑑定をさせていただき「分析力が高い能力を持つ人」という暗示が出たとします。(対人能力が高い、人の上に立つ星の持ち主でも構いません)
画数の吉凶を判定しても意味はありません。
この能力をどう使うかが大切だからです。名前が良い、悪いではなく、名前が暗示している能力があれば、それをご本人と周りが喜ぶように使えばよいと考えました。
さきほどの姓名判断の事例ですと、「分析力」の髙い人と鑑定された方の場合、この能力を「あなた、ここがダメだよというアラ捜し」に使うのか、「あなたはこうすれば、うまくいくよという提案力」に使うかで、その人の周りへの姿勢が変わりますし、反対に周りからその人がどのように思われるか、評価が変わります。
名前の良しあしではなくて、能力の使い方の良しあしがその後の人生に影響を与えるということです。その考え方を皆さんに知っていただきたいわけです。
ほかの事例で考えてみましょう。
「いいクルマってなーに?」と尋ねられたら「ロールスロイス、ベンツ」と答えるかもしれませんね。でも、どんな高級車であってもメンテナンスをしないと走れなくなるし、ほっとけばクズ鉄になるだけです。
「いい刀ってなーに?」という問いに対しては、どんなに良い刀であっても手入れをしなければ錆びてしまいます。
つまり、どんなに良い素質を持っていたとしても、メンテナンス・自分磨きをしなければダメになるだけなんです。
「いい名前ってなーに?」と聞かれても同じことです。
逆に「いい名前だから・・」どうなの?
名前が暗示する能力を磨かなければ、人間として錆びてしまいます。
だから私は、「良い」「悪い」判断だけの占い師になりたくないと考えたのです。
年回りについての考え方
☆「大殺界」はコワク時期なのでしょうか?
良いとか悪いを判定するのが占いの役割ではないというのが、私たち西日本運勢研究会の考え方です。当然に、それは年回りに対しても同じスタンスとなります。
大殺界について検証してみますと・・・
「大殺界」は「天中殺」の考え方を少し広げたものです。「天中殺」は四柱推命という占いでいう「空亡」と呼ばれる期間です。占いに興味のある方は、12年のうちに廻って来る3年間が「大殺界」ということをご存じだと思います。
私たちの大切な人生の12年間に、誰も手が出せない期間が3年もあるなんて・・・
企業勤務から占いの世界に入った私にとって、「それはおかしいだろ」と思いました。何もできない、何もしてはならない、不幸と隣り合わせの期間があるなんて、普通に考
えてみてもおかしな話だと感じました。
ただ、人間は都合の良い事だけを記憶してしまう生き物ですから、痛い目に会っているときにそこを突かれてしまうと、あっさり信じてしまうのも人間です。
もともと人間の記憶には、生存競争の厳しい世界を生き残るために、「イヤなこと」「痛かったこと」「二度としたくないこと」を忘れないようにする傾向があるそうです。
その視点から考えてみれば、悲しいかな、悪い事って覚えています。それを他人(占い師)から「こんなことがあったでしょ」と肯定されると信じてしまうわけです。
また、賢い人、優秀な人ほど陥りやすいのが占いかもしれません。
ポジティヴシンキング(積極的思考)のセミナーに通ったり、生活と気持ちに少しゆとりがあって、自分を磨きたい人は確実に増えています。健康にも気を使い、カーヴイーダンスなどにも汗を流している女性は、アンテナがかなり敏感です。
敏感だからこそ、日々の生活のストレスを感じるので、それに対処しようとします。
占いに傾倒しやすいのは優秀で敏感だからです。
わが家のように、お金がかかることができない人はお客になれません。
知的レベルの髙い人ほど、注意していただきたいのが占いの世界です。
さて、「天中殺=空亡」の考え方は中国から伝わってきました。
空間を表す指標として「十干(じゅっかん)」と時間を表す指標の「十二支」を組み合わせていくと、10と12の対応ですから、2つがはみ出してしまいます。
すべての人が、十二支が巡る12年間のうち年、月、日の2年、2か月、2日という、はみ出してしまうときを「天中殺=空亡」として、良くない時期と判断しようとしました。
でも、自分の人生に対してどれだけの期間が「天中殺」になるのかを計算すると、約42%が「天中殺」になるのです。さすがに本家中国でも、これはたまらんということで唐の時代あたりと言われておりますが、すたれたそうです。
大殺界は12年周期のうち3年間ということですから、どれくらいの期間になるのかを計算をしてみますと人生の約6割弱が該当します。自分の人生の6割もが「大殺界」というのはたまりませんね。
事例に置き換えてみるのも方法です。27時間テレビで大活躍をされた、SMAPの皆さんの活躍は20年を超えています。ヤンキースに移籍したイチロー選手は大リーグ15年目の選手ですが、オリックス時代が9年ありますので、24年間現役で記録を伸ばし続けています。
放送は終わりましたが、タモリさんの「笑っていいとも」は31年も続いたギネスにも登録された番組です。
氷川きよしさんはデビュー15周年。波に乗り続け、紅白出場は13回。
これらの皆さん、どこか3年間の落ち込みがあるでしょうか?
ありませんね。
どうして、彼らには「大殺界」と呼ばれる期間の影響がないのでしょうか。
誤解していただきたくないのですけれど、「大殺界」の説を否定するのが目的ではありません。西日本運勢研究会では、占いは「人を幸せにするためのソフト・羅針盤」であると考えています。だから、「大殺界」は必要なものなんだろうかと考えたのです。
ある先生が考えた説ですから、考え方のひとつとし当然に認めていますが・・。
たとえば、1年は12か月、春夏秋冬と4つの季節があります。夏だから良い、秋だから悪いというのは解釈としても、考え方としてもおかしいと思ったわけです。
どの季節にも役割りがあります。春は芽生えの季節。しかしまだ力強さはありません。その前の季節である冬は、春に芽が出るための準備期間、内面の力を蓄えるときです。
夏は暑いから・・イヤだ? ではなく、人生を季節にたとえたなら、そこにリズムがあるのであれば、上手に季節を過ごすことで、みんなが幸せになる方法を説いたほうがよいのではなかろうか・・・それが、私たちの結論です。
このような考え方であれば、「大殺界」という時期には、自分を見つめ直し、至らないところがあれば修正をし、人間としい学びを深めていき、自分を支えてくれる周りの人たちに感謝を捧げ、併せてボランティアなど世の為、人の為に尽くす期間にしよう。それが「大殺界」ならば、まだ受け入れやすいものがあります。
ウチの流派であれば「大感謝界」などに名称変更したかもしれませんね。
基本的に占い師の仕事は「不安を取り去る事」にあるはずです。
人生の6割近くが希望のない期間にしたくんいです。
厄年について
厄年は9年に一度巡ってきます。前厄と後厄をつけ加えると 3/9が厄年。人生の3分の1が厄年になってしまいます。これまた浮かばれないことになりやすいです。
厄年はあらためてご説明をさせていただきますが、「厄」の字を「役に立つ年」「躍動の年」の「役」「躍」をあてはめるようにしていただきたいと希望します。
プロ野球の選手は基本的にドラフト制度で入団します。
もし厄年が現実のものというか、悪い事が起きる年であるならば、その学年に該当する人たちは、ほとんどの人が倒れるか、不調になっていなければいけません。ありがたいことに、私はそんな選手を見たことがありません。
反対に「松坂世代」とか「マエケン世代」など、活躍している時代があります。
彼らのように「役に立つ」年、「躍動の」年にしていただきたいものです。
易の世界の考え方では、この世の中は天が活動し、人間が生活しています。それぞれに変化を続けていますから、人間の運命だけが予定されているはずはないと考えます。
したがいまして、占い師が運命を決めることはできません。
占い師にできることは、良い運命を引き寄せるための知恵、天と運気が応援してくれる生き方、環境を整えることです。
これらの条件が整うと飛躍がしやすくなります。
条件整備をする、人生のグランド・キーパーみたいな存在なんです、占い師って。