イラク情勢からあれやこれや

イラク戦争前の各国の思惑による足並みの乱れ、開戦、大規模戦闘の終結、自衛隊の派遣、占領行政のまずさ、開戦1年、CPAからイラク国民への統治引渡しなど節目があると報道されるが、継続した報道と分析が皆無であるのは日本のマスコミの特徴であろう。

治安ということを考えれば、人類は統治のために「暴力装置」を常に持っていた。キレイゴトは抜きにして、国家により名称は異なるが警察や軍隊など暴力装置の存在が国家組織にとって不可欠なものであり、これを抜きにした平和は歴史上存在しなかった。
悲しいかな、人間は戦争を抜きにした解決方策を未だ見つけ出していない。

2004年5月下旬に、イギリスの国際戦略研究所が出した年次報告によると、西側連合軍によるイラク国内での治安維持は不可能になったとしている。今後はイラク人の警察と軍隊の整備、選挙の実施が不可欠とも述べている。
イラク人によるイラクのための治安整備は何年かかるか予測はつかないが、1年や2年という短期ではないことは確かであろう。
米軍の戦闘力と火力がいかに強大であっても、聖地という宗教上もっとも大切な場所を戦場にしてしまった国が治安を安定させられるとは考えられない。
まったく、ハタから見ていると自分勝手で自己満足しか考えてないんかい、と言いたくなるアメリカさまである。

戦争というのは、まったくもって不条理なものだ。
しかし、人類史上戦争がなくなったことはない。歴史学者に言わせれば「歴史は繰り返す」ものでおしまいであろう。

人間というのは、善と悪という両面を持っている。これはヒト科の動物の宿命であり変えることはできない。
確かに、科学や技術は進歩していくが、人間の心や本能が進歩しているとは思えない。
どのようなヒト科のサルも、寿命はせいぜい80年くらいであり、その限られた人生で学習することには限界がある。セネカではないが、人生は大切なことを学ぶにはあまりにも短すぎるのである。
ほとんどのヒト科のサルは、生存と自己防衛、自己の繁栄のために煩悩を抱えて生きている。だから民族や宗教、地形などを軸にした国家を形成し、その国家というヒト科のサルの集団の利害により、戦いという行為を行ってきた。

ヒト科のサルの短い一生で戦争をなくそうとすれば、何が一番近道であろうか。
それは、戦争・戦いを学ぶことである。
「私は戦わない。平和は祈っていればやってくる」と念仏を唱えているだけでは、どうにもならないし、それは恥ずべき「逃げ」の行為だと私は考える。
戦わないと宣言するだけで、民族や国家が生存し続けることはできないと考える。いかなる国家も成し遂げていないし、ヒト科のサルという生物が達成できるとは考えられない。

戦争の議論から逃げるばかりで、現実の兵器体系、抑止、対応能力を検討していない国家は滅亡していくだけである。
戦いを学び、可能な限りこれを抑止し、抑止が破綻すればあらゆる力を総動員して対処するしかないのである。
私は日本の神学論争は、そろそろ止めて欲しいと考えている。

この平和なとき、戦争を学ぶために、戦争を体験している国から学ぶべきである。