「大器晩成」 〜 これでいいのか早期教育

なんだか、世の中では「3才では遅すぎる」とか、早期の教育をしないと・・云々と、子供に負担をかけさせることばかりの風潮が感じられます。
確かに、教育は「詰め込み」も必要ですし、スパルタ的要素がムダともいいません。スポーツの世界だって、幼少期から鍛えられた選手が活躍していることからみても、「詰め込み」は大切なことなのです。
しかし、「教育」、「人として生きる」ことについて、私は早期教育に疑問を抱かざるを得ないのです。

幼稚園で「戦争と平和」を読破したからといって、その子供が能力の高い人間に育つのでしょうか?私は、全体的な能力の発達を考えると、むしろ偏った方向に向くのでは、と危惧しています。
親に依存せざるを得ない時期に早期教育をすることは、「親に喜ばれることが自分の幸福」という個性に育ててしまいかねません。
早期教育を受けた子供たちが、親の期待通りの優秀な大人になったでしょうか?残念ながら日本では早期教育の追跡調査は皆無なので、判断は下せません。

目を外国に向けてみますと、早期教育を受けた英国の思想家ジョン・ミルや、1920年代の米国での高IQ児童の60年にわたる追跡調査、第二次大戦後の米 ソの英才児童発掘調査、ベトナム戦争中の30万人に及ぶ知的水準の追跡調査などがありますが、長じては平凡な大人になるという結果が多く、また最新の研究 では現時点で脳科学が人間の脳の発達について明言しうる事柄はほとんどないのです。
それゆえ早期教育の「お墨付き」を脳科学に求めるのはお門違いと断言する学者もいるのです。

早期教育を受けたのち、深刻に欝に陥りながらも立ち直ったミルは「幸福こそがあらゆる諸法則の試金石であり、また人生の目的である」と述べています。

脳科学において肯定される早期教育は、小学生に大学の勉強をさせるような詰め込み教育ではなく、祖父母、親、兄弟、周囲の大人という社会関係の中から前頭 連合野46野の自我を発達させ「好奇心」や「探究心」を伸ばし、自分で問題を探し、解決させる能力を伸ばすというものだそうです。

早ければいいのではなく、人として何が大切か、愛される安心感、好奇心と探究心を伸ばせる環境を与えてあげることが大切なのです。天才に育てるのではなく「幸せな人」に育てるということです。
「大器晩成」という言葉を、私を含め、親は考えてみる時期ではないでしょうか。

そして、なにより商業主義に踊らされている日本の多くの親たちです。正しい知識を持たない親の側か、それとも商業主義の側が悪いのか。
私は商業至上主義の弊害だと思います。

ひとりの人間として、教育を見つめ直してみませんか?