2006年4月19日

下流社会について

ベストセラーになってしまった「下流社会」。これは昨年の10月ですから、売れる前に読みましたが、山田としては、面白い切り口、ジョーク満載の評論と感じました。
ちょうど15年くらい前の「階級」という本のように。

階級社会の次に来たのは学歴社会です。これについては、コメントだけで時間がとられますので割愛させていただきますが、「下流社会」には「かまやつ女」とかいう新しい単語以外に、新鮮な内容はないと思います。
まぁ、それでもまとめてみますと・・

昨今の社会は、社会経済的地位の問題ではなく、「生への意欲」の格差を生み出してしまったことに根本的な問題があるのではないか(大學全入なのにね)
下流社会に位置づけられる人は
○一生懸命に働くなんて面倒くさい
○恋愛するのは面倒くさい など、生きる力になる出来事に対して「面倒くさい」と避けている。つまり、「自分の成長」や「社会」に価値を見出していないということですよね。

2つの考え方をご紹介します。

これに対して、上流とは(SAPIOによりますと)、外国に子供を留学させる、骨董品を買い漁る、プライベートジェットを持つ、会員制のお店に入る、高価 なレストランで食事をする、一斤4,000円の食パンを食べる、何百万の家賃のマンションに住むなど、どうも山田には、心が躍らないことばかりです。
成金というのは、意外性も個性もないですなぁ。勉強するとかないもんねぇ。
まぁ、世界には根強い人種差別があるから、日本人には限界がありますけどね。
自分が一流に見られたいというのは、自信がないことと、表裏一体に感じます。

現実に、人は生きるのに一流でなくても少しも困らないのです。
小金のある庶民のほうが、生き方を自由に選べます。高級レストランに行けるし、立ち食いもできます。
生き方の選択肢が豊かなことが、本当の上流かもしれません。
と、これは曽野綾子先生の主張でした。

さて、ここで「苦しみの中で見つける幸福感」という最近、医学会で注目されている概念についてご紹介します・・「ベネフィット・ファインディング」といい ますが、これは、苦しみを経験することで、それまで何もないと思っていた出来事に意味・価値を見出す過程のことです。(病気に侵され、それを背負って生き ていくことを強いられたとき、自分が生を受けていることに価値を見出すことなど)
そのような価値を見出すことは、心に潤いを与え、生きる力となります。
つまり、所得が低くても「ベネフィット・ファインディング」を経験すれば、社会的地位が下流であっても、豊かな人生を送ることが出来ます。
まず、自分を客観的に見つめ、自分の置かれている環境を否定しないこと。
次に、人との関わりを怖れないことです。

人生が豊かになるために必要なことは、所得や地位ではなく、「自分への気づき」と「心を許せる他人の存在」なのです。
お金ですべてが買えるというのは錯覚です。
苦しい中で、幸福を見つけるほうが意味ある人生です。

私が申し上げたいのは、「下流社会」という本のために、自分のポジションを自己判断してはいけない、あきらめてはいけないということです。
自分を見つめ直す機会にするだけの本ですよ、私に言わせれば。

だいたい、昔から統計というものは、幸福の尺度として、人生に何の意味もないのです。
タイトルが面白かっただけで売れたと思いますね。

人生の可能性が多い人が「上流」だと思いませんか。
私は、おっさんになっても「可能性」をたくさん見つけていますから・・

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