おやじ、昔々に「地獄の13日間」という研修に送られたことがあります。まだ若かったので二百余名中、8番で出てきたのでありますが、そこで教えていただいたことを参考に、うんちくであります。
新入社員の皆さん(進学して新しい人の集団に入る人にも)には、大きな不安があると思います。
第一に、仕事が出来るか(学生なら勉学についていけるか)という不安。
第二に、自分が人に好かれるだろうかという不安だと思います。
これは、組織の中の存在として、社員の条件として求められるし、必要なことだと思います。
仕事が出来ることと、良い人間関係をつくることで、会社は楽しいものになるはずです。そして、どちらかが欠けてしまうと、ツライことになります。
仕事というものは、先輩や上司に指導されます。ミスをすれば、もっと具体的に教えられるでしょう。しかし、人間関係については先輩や上司から指導されることは少ないのではないでしょうか。
仕事のミスというのは注意しやすいのですが、人間関係となると人格や感情が出てきてしまうため、誰もが思っている人間関係の重要性は指摘しにくいのです。
組織とは、人の集まりであるため、周囲との良い人間関係を作ることは、社員として大切な条件となります。
したがって、人に対する正しい理解と、正しい接し方を知り、実行するとトラブルが消えていくようになります。本人の心がけで、どのようにでも開発出来るものということを知っておきましょう。
さあ、では私たちが好きになれない人というのは、どのような人間でしょうか。まず、自分自身に目を向けてみましょう。
自分を見つめると、楽をしたい、難しいことは他人にまかせたい、というズルさがあります。それなのに認められたい・誉められたいという欲の深さがあります。
他人に厳しく自分に甘いエゴがあります。自分にはルーズでも他人には厳しいです。
自分の不幸を何倍にも誇張するイヤらしさがあります。自分に圧迫感を与える人間に対して「あんなヒドイ奴はいない」と決め付けます。
私にとって一番イヤな奴というのは、自分自身なんですよ。
では、自分を嫌っているでしょうか?
イヤになることはあっても、嫌いにはなっていないはず。それは、良いところがあるからですし、自分については悪いところを見ないで、良いところだけを見ているからです。
ということは、自分に対しては良いところを見て、好き(少なくとも嫌いではない)という判断になり、他人については悪いところを見て嫌いと決め付けるのは公平でしょうか。
また、人間には欠点というか、悪いところがあるものです。自分の感情に従えば、他人のある言動からイヤだなと思うのは仕方ありません。しかし「イヤな奴」と決め付けることは妥当であるだろうかということです。
「イヤな奴」と決め付けるのをやめてみると、他人の良い部分が見えてくるはずです。
職場には、自分、同僚、先輩、上司、経営者がいます。職種も営業、制作・製造、管理、経理など多種に分かれ、それぞれに役割を分担しています。
管理者には役割があり、部下のミスや手抜き、遅刻などを「いいのよぉ」とニコニコして放ってはおけない立場です。
荷物の発送だと時間内に用意が出来ていないと受付けられませんし、経理に伝票の不備があると説明を求められるでしょう。
相手が良くない場合もあるかもしれませんが、あなたが相手の立場になれば、そうするのが正しいということが多いのではないでしょうか。
組織の人には、役割や立場というものがあります。ある担当の言葉や態度というものは、その人の立場に立ってみないと、理解することは出来ないものです。
立場の違いを認識すること、相手の立場になって考えられない人は、組織で生きていくことはムリでしょうなぁ。
相手の立場に立つ。これが人間として求められることです。
あるお話です。
ある日、ひとりの若者が街にやって来て、そこにいる老人に尋ねました。
「ここに住んでいる人たちは、どんな人たちですか」
老人は、「お前さんのいた土地の人たちは、どんな人たちだったかね」と聞き返しました。
「えぇ、それはもうヒドイ連中で、皆、好き勝手放題。そこを離れて良かったと思っています」と答えました。
老人は、「ここの人たちも同じだよ」と答えました。
別の若者が来て、同じ質問をしました。
老人は、「お前さんのいた土地の人たちは、どんな人たちだったかね」と繰り返しました。
若者は、「みんないい人たちばかりでした。あの人たちと離れたくなかった」と言うと、老人は「ここの人たちも同じだよ」と答えました。
前に居たところをよく思わなかった人間は、この土地に住んでもよくは思わないだろう。前に居たところで、大勢の友人を持った人間は、この土地でも、やはり大勢の友人を見出すことだろう、と言っているのです。