組織改革に思う

お相撲の話題がいろいろやってますね。
いつものような朝青龍の暴力問題、内館さんの横審委員のこと、貴乃花親方の理事問題など・・

相撲といえば「心技体」
この基準から判断すれば、問題は解決の方向にいくはずだと、部外者のおやじは思ってしまいます。
だいたい、これらすべてを鍛えなければ、横綱を張れないはず。
心が豊かでなければ、技が冴えません。技のキレ具合は体調に左右されます。
横綱でなくても、私たち普通の人間でも心技体を磨けば、向上していきます。
なにより「身体」は大きく作用します。
健康が失われると、心の沸点が低くなり、我慢が出来なくなるものです。睡眠時間と生活リズムは大切なのよー

お次はリーダーについての検討です。
リーダーに求められる資質に関しては、たくさんの考え方や定義があると思います。
ここでは年齢差について考えてみましょう。
おやじの前に目の前に2人の社員がいます。
Aさんは切れ者として有名。企画力もあり有望な若者であり、周りもその実力を認めていますが、20歳も年下。
Aさんを用いれば、古参社員からの不満が出るかもしれない。どうしよう・・・
しかし、組織のことを考えるなら、出来るのであれば年下でも構わず起用することは大切だと思います。

最近の日本では年功序列が崩れてきています。
それでも、年下が上司になるのは心情的に我慢が出来ないという人は、少なくないかもしれません。
しかし、年齢の上下にこだわっていては、これからの世の中はうまくいかないのではないでしょうか。

坂本龍馬が亡くなったのは31歳です。この若さで日本を変革していったわけです。
「坂之上の雲」の秋山真之は日本海海戦のとき36歳のはず。
若いでしょー

おやじが勉強をしている中国古典では「三国志」に、若者を登用することで、歴史を作り上げた人物がいます。
劉備玄徳(りゅうびげんとく) 彼が用いた人物は、諸葛孔明。出会ったとき、劉備は47歳、孔明は27歳でした。
「三顧の礼」(さんこのれい。目上の人が格下の者に対して三度も出向いてお願いをすること。三国時代の劉備が諸葛亮を迎える際に三度たずねたことに由来)で、若造の孔明を迎えたのです。

指導者として、先入観にとらわれず、良いものは良いと考えて採用したわけです。
三国志を著した陳寿は、劉備を「人を知り 士を待つ」と言っています。
つまり、劉備は人物を見分け、これぞという人材には甘んじてへりくだったということです。
素晴らしい人材ならば、年齢に関係なくリスペクトしたのです。「良いものは良い」と通すことがいかに大切か。
晩年、死期が迫る劉備。孔明を呼び、次のように言いました。
「君の才は中国統一に最も近いとされる魏の初代皇帝よりも素晴らしい。自分に息子がいるが、ダメなヤツだったならば、孔明、君が代わりにこの国を治めて欲しい」
息子たちには「私の死後、おまえたち兄弟は孔明を父と思って仕えなさい。ひたすら大臣たちが孔明に協力して事をなすように仕向けなさい」

日本の強い会社というのは、三国志の劉備と孔明のような関係が多かったと思われませんか。
一番有名なのはソニーです。井深大と盛田昭夫。盛田は13歳年下でした。
自分より年下で、能力の高い人物に出会ったとき、リーダーとしての器が試されているのではないでしょうか。
年配の者が、「アイツは年下だから」「礼儀がなっていない」「挨拶に来ない」という不満を口にするよりは、三顧の礼のように、自分から挨拶をしていき、若い人の能力を認めてあげることが大事だと思うのです。

相撲の世界は「心技体」だと最初に申しあげましたが、自分たちの世界がどうなるかを考えたときに、劉備に学ぶことがあるのではないでしょうか。
「伝統だから」では通用しないことがあると思う、おやじでした。