2007年12月7日

ふたつの故事から・・

「刎頚(ふんけい)の交わり」 or  「刎頚の友」
人間関係というのは難しいものです。
同じ仕事仲間であっても、誰かが賞をもらったり評価されると嫉妬の心が生まれます。
人間であるかぎり、いつの時代、どこの国でも起きる問題です。
昔、戦争の絶えなかった中国での話です。
「趙(ちょう)」という国があり、廉頗(れんぱ)という将軍と藺相如(りんそうじょ)という政治家・外交官がいました。

あるとき王様が藺相如の働きを評価して、思い切り昇進させました。三ツ星をもらったわけですな。それも大変な出世でしたから、それまで上にいた廉頗を飛び越しました。
こうなると廉頗は面白くありません。「私は将軍として命を賭けて戦ってきた。それなのに口だけで自分より上の地位に就いてしまった。こんなバカなことが許されるか。会うことがあれば恥をかかせてやる」と発言したわけです。
藺相如は、この話を聞くと顔を合わせないようになりました。会議では病気と言って休み、向こうから廉頗の車が来るとわき道に自分の車を入れて隠れる。逃げ回ったのです。

これに、本人よりも家来たちが我慢できなくなります。「ご主人様が廉頗を恐れで逃げ隠れする姿は異常です。大臣ともあろうお方がそれでは、私たちは仕えることができません」
要は、あんたが頼りなさすぎるから、辞めさせてくれと言ったわけです。
これに対し、「自分は将軍の廉頗が怖いわけではない。わが国の滅亡を恐れているのだ。この趙という国を他国が攻めてこないのは、廉頗と私の二人の存在が怖 いからだ。今、我ら二人が争えば、どちらかふたりが死ぬことになる。それは外国が喜ぶことだ。恥を忍んで逃げ隠れするのは、全体の利益を考えているからで あり、私個人の意地や我慢など、取るに足らないことなのだ」と答えました。

これを聞いた廉頗は、愕然とします。「あぁ、オレは自分の役割と目的を見失っていた。おろかなる感情に振り回されて、国を滅ぼすところであった。どのように詫びようか」
ここからが、さすが将軍になる人物のえらいところで、廉頗は上半身が裸で、イバラのムチを背負い、「このムチで私を打ってください。あなたに与えた屈辱を思えば、これでも足りない・・」 この心は藺相如に伝わります。
「許すも許さないもありません。私たちの目的はひとつなのです。共に力を合わせていきましょう」 こうして二人の男たちは心の底から打ち解けあいました。
「お互いのためなら、首を刎ねられても後悔しない」と誓いを立てました。友のためなら命を捨てても構わないということを「刎頚の友」と呼ぶようになりました。
相手を殺しかねないような状況だった二人が「刎頚の友」になったのは「共通の目的」があったからです。
国なら国防、社会なら保障、会社なら事業の成功、家庭なら家族の幸せ・・など、それぞれのチームで共通の目的があるはずです。
目的を忘れ、各メンバーが自分勝手、自分の都合を優先するようになると、必ずトラブルが起きます。何が大切か、大局を見る心の広さが思いやりを生むのでしょう。

「幸せと不幸の分かれ道」
幸せになる人と、苦しみが続く人の違いはどこにあるのでしょうね。次にたとえ話をご紹介します。
昔、あるところに地獄と極楽の見学に行った男がいました。
まず地獄に行ってみると、ちょうどランチタイムでした。食卓には豪華な料理が出ていますが、そこにいる者たちはみんなガリガリにやせこけています。よく見 ると、みんなが持っているのは1メートルくらいある長いお箸。その長い箸を使って自分の口に食べ物を運ぼうとしますが、できるはずがありません。イライラ して怒り出し、他人のつまんだ料理を奪おうとして争いまで起きました。

次に天国に行きますと、みんな肌はつややか、ふくよか。コラーゲンもとっているのでしょう。しかし、みんなが持っているのは地獄と同じ長い箸でした。
「えっ、地獄と天国はどこが違うんだろう」と悩みます。すぐに疑問は氷解します。
天国の人たちは、長い箸でご馳走をはさむと「どうぞ」と言って、自分の向こうにいる人に食べさせ始めたのです。
相手は食べ終わると「ありがとうございました。今度はあなたが食べたいものをどうぞ。何がお好きですか?」と食べさせてくれます。

このたとえ話は、自分さえよければ他人はどうでも良い、という「我利我利」(ガリガリ)
の考え方では幸せは来ないよ、というものです。
思いやりの心を大切にして、他人のために行動できる人は、また周りからも大切にされ、自分自身に幸せが巡ってくるということです。

どんな心がけを持ったお店、スタッフが評価をされるのかということです。
夫婦の思いやりを考え、反省しなくてはいけないおやじでした。

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