一途一心 と 一燈照隅、万国照燈

「ひたすらに」がお伝えしたいことです
一途一心ということについてと、一隅を照らすこと

 一途一心(いちずいっしん)とは、ひたすらに、ひたむきにということです。
 あらゆる道、学問や仕事、どんなことであれ、この懸命さを持っていないと成功はありません。
 どんなことでも核となること、中心が必要です。
 心の中にある一生懸命さ。これを忘れてはいけません。

 難しいことじゃないよ、一途一心。
 最初は当たり前のことから始めたらいいと思う。
 道徳を守ろう、公共マナーを守ろう これからスタートすればいいわけです。

 最近の風潮で、おやじが気にいらないのは「他人の目を気にしすぎる」こと
「カッコをつけること」などであります。
 人の道に外れないこと、正しいことで、心の中に一本の筋道、信念があればいいではないですか。
 誰もやらないから恥ずかしい・・・なんぼか気持ちはわかるけれど、信じることはやるべきだと思う。
 それがゴミ拾いかもしれない、お年寄りに席を譲ることかもしれない、倒れた自転車を直すことかもしれない。
 カッコつけているようでイヤだな、なんて思わないで欲しい。
 日本人には、この反対の気持ちがあったはずだよ。
 誰も見ていないけれど、ゴミを拾う・・・
 誰かが見ている、誰も見ていない、どちらでもいいじゃないか。
 正しいと思えることをしてみようよ。

 本当は、大人が見本を見せるべきなんだよね。
 どんな大人も公共心、道徳、マナーを語り、自分が実践していれば、それが世の中の規範・常識になるはず。
 これが普通でしょ、ある意味。
 ごみを捨てることが恥ずかしくなる意識、みんなのためを思う心が普通・・じゃん。

 カッコをつけるということでいえば、草食系(パンダは肉食から草食になったので)の男子諸君は、
フラれるのが恥ずかしいから恋愛をしないだって!?
 オトコはフラれてなんぼじゃないか。
 恋がうまくなるにはどうすればいいか・・・失恋をたくさんすることですよ。
 人を好きになるというのは、恥ずかしいことじゃない。当然にフラれることもある。
それはご縁の問題だから。 恥ずかしいことじゃないことに臆病にならないで欲しいな。

 余談です
 恋愛のスキルというのはあるよ、確かに。
 人付き合いの上手な人と下手な人がいるもんね。これは社会的スキルということになるけれど、
「他の人と円滑な人間関係を保持していくために必要な認知的行動や判断」
 つまり、話題の豊富さ、相手の話を聴く姿勢、状況判断などが社会的スキルでありますな。
 これらは、訓練や意識によって身に着けることができるもん。
 たとえば、テニス部に入って練習もしないでテニスが上手になるなんてあり得ないし、そんなこと許されんやろ。
 対人技術も、小さい頃から挨拶をしていた家庭、お父さん・お母さん、おじいちゃん・おばあちゃんと暮らしていれば、
毎日がその練習だもんね。お父さんとキャッチボールしていたら、うまくなるでしょ。スポーツだってそんなもんよ。
 対人技術は、努力したら、確実に身に付きますって。

 男の人、女の人は、好きで一緒になって夫婦になるわな。
 そうしたら、お互いを支え合う、助け合う、高め合うのが大切よね。
 それなのに「お父さんみたいになったらいかんよ」とか言うなって!
 少なくとも、あんたが選んだ人でしょうが。
(いい加減な気持ちで選んだんなら、真面目になったときに生き方を改めるのはあるかも)
 「父ちゃんのおかげよ」
 「稼ぎが少なくて済まんな」
 「暮らせるもん、パートも出来るし・・家族が健康だからいいじゃん」
 「そうか・・オレ、踏ん張れるわ」
 こうして、オトコは女の人の手玉にとられて、舞い上がるのよ。

 そんな夫婦の会話を見ていたら、子供はどう感じるだろうね。
 お互いの愛情、思いやり、自分がいるから喜ばれる
 夫婦っていいな、結婚っていいな、家族っていいな 大事にしようと思うでしょ。

 街に対する愛情もそうよ。ゴミ箱じゃないからね、街は。
 大人が見本を。夫婦のように・・・次の世代に教えていたら変わるって、岡山・倉敷。
 
 これも一途一心の延長よ。

 おやじ、鍵山秀三郎さんという人の本をよく読むのね。
 その中に、こんなフレーズがありました。若い人から成功の秘訣を聴かれた鍵山さん、なんと答えたか
「成功のコツはふたつある」 「コツコツ」と書かれたそうです。

 コツコツは一途一心と同じです。

 中国の春秋時代、斉の国の威王と魏の恵王が、狩りをしていた偶然に出会ったそうな。
 魏の恵王さん「私の国は小さいが、他国ににない立派な宝があります。
直径一寸の光を放つ珠で、車の前後を明るく照らします。
あなたの国は大国なので、さぞかし立派な宝物があることでしょう」
 威王「私の国にはそのような宝はないなぁ。しかし、優れた家来がたくさんおります。
ある者に南を守らせたら楚の国は恐れて攻めてきません。ある者に西を守らせたら、趙は約束を守ります。
こうした家来が、自分の立場で一隅を照らし、国を支えてくれます。これが私の宝です」
 恵王は恥じ入ったとあります。

 のちに、これを最澄が教えに取り入れます。
「古人曰く 径寸十枚 これ国宝にあらず 一隅を照らす これ即ち国宝なり」

 一つの灯火を掲げて一隅を照らす。
 そうした誠心誠意の歩みを続けると、いつか必ず共鳴する人が現れてくる。
 一灯は二灯となり三灯となり、いつしか万灯となって国をほのかに照らすようになる。
 だからまず自分から始めなければいけない。

「一燈照隅 万燈照国(いっとうしょうぐう ばんとうしょうこく)」

 繰り返しますよ。
 「一人ひとりがささやかでも、自分の身近の一隅を照らす
 それだけでは小さいあかりかもしれないが、その一隅を照らす人が増えていき
 万のあかりとなれば、国全体を照らすことになる」

 自分ひとりがしても何も変わらないという前に、自分から行動しなさい。ということ。

 ちっぽけな「一隅を照らす」ことが大切なのです。

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