2009年9月20日

自分の可能性 打ち破れ限界

 日本の進む方向が変わりそうな予感がしています。
 「勝ちに不思議な勝ちあり 負けに不思議な負けはなし」
 選挙もありましたが、この数ヶ月間に起きた出来事から、私たち自身の生活を見つめ直してみることも大事かと思います。

「可能性」と「自分の限界」について考えてみたいと思います。

 まずは、ビジネスでよく使われるたとえ話を2つ ご紹介させてください。
「諦めるカマス」 
 ある大学で行なわれた実験ということです。大きな水槽の中にカマスを飼っています。
このカマスには、定期的に一定の時間が経過するとエサを与えます。カマスくんですから、すごい勢いでエサを食べます。
 ここで実験。水槽に透明なガラスの仕切りを入れました。そして、エサはカマスがいるのとは別の側、仕切りの向こうに入れました。
 エサを食べようと、カマスは泳いできますがガラスにぶつかって、エサにたどりつくことが出来ません。これを何回も繰り返していると、カマスはあきらめてしまうのです。
 どうせエサは食べられないと、学習してしまったカマスくんは、ガラスの仕切りを取り払ってもエサを取りにいこうとしなくなりました。
 「どうせムリだ。どうせムダだ」とあきらめてしまうと、ガラスの仕切りはすでになくなっていて、自由にエサが食べられるのに行動しなくなるというお話。

お次は「ノミのジャンプ」
 今の若い人は、ノミという存在を知らないかも・・・小さな昆虫です。
 小さな身体で、自分の何百倍もの高さをジャンブします。
 このノミをビーカーに入れると、跳び上がってはビーカーにぶつかることを繰り返すうちに、さっきのカマスくんのように飛んでもムダだと覚えてしまうのです。そうすると、ノミさんはビーカーにぶつからない程度の小さなジャンプしかしなくなります。
 これはビーカーを取り払っても変わらないそうです。
 もうビーカーという障害はないのに、小さなジャンプしかしなくなるのです。自分にはその何十倍も飛ぶ力を持っていることを忘れてしまったのです。

 ここから学びたいことは・・
私たちは、自分の中にガラスの仕切りやビーカーを置いてしまい、自分の可能性を自ら、制限しているのではないかということです
 自分の可能性に限界を設けるのは、もったいない。誰がなんと言おうとも、可能性はみんなが持っています。ビーカーの中から飛び出してみませんか。
 インドの言い伝えによりますと、私たち人間が犯してしまう最大の過ちし、「自分で自分を小さくしてしまうこと」だといいます。

 ところで、さきほどのカマスくんの実験ですが、もう一度エサを食べに行くようにさせることが出来るのです。
 それは、別のカマスを水槽の中に入れることです。
 新しく入ってきたカマスくんには、ガラスの仕切りがあるという先入観がありません。ですから、与えられたエサを食べに行こうとしますし、実際にエサをゲットします。
 それを見ていた、「どうせムダさ」と諦めていたカマスも「あれ、食べられるのか」と自分でもあらためて、エサを食べるようになります。

 水槽って、「マンネリ」の象徴なんです。
 硬直化した組織です。
 マンネリを解消するためには、新しいカマスが必要ということです。
 これが新入社員なのか、中途の社員なのか、ヘドハンティングした経営者なのか、とにかく新しいカマスが入ることで組織はマンネリから脱するチャンスを得ます。
 新しいカマスがいないところでは、自分で「どうせムダさ。親分があれじゃあな」という気持ちに覆われてしまいます。そして可能性を制限して組織が潰れていくわけです。

 新しいカマスを入れることと、このカマスを自由に泳いでもいいよと言わないと意味がありません。
 これが出来るのは誰なんでしょう。
 カマスを入れることと、自由に泳がせない組織になったとき、この組織は自滅します。

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