人生は卒業と入学の繰り返し

私たちは産まれてきてから、幼稚園に入り卒園、小学校に入学して卒業、中学、高校と卒業と入学の繰り返しをしてきました。高校から進学する人、就職する人。社会人に入学。
先輩になれば新入社員からの卒業、2年生に入学。これが主任、係長、課長・・ドンドンと続いていきます。
人生においては、独身からの卒業、結婚への入学。親に入学(親は卒業がありませんけどね)など、さまざまな卒業と入学があるのです。
つまり、人生というのは常に学び続けることが必要であり、そこから逃げ出そうとしてはいけないのです。先週、中間管理職についてお話をさせていただきましたが、人生にも逃げられないことを知り、覚悟しましょう。

おじさんになってくると学ぶことに横着になったり、おかしな意識から年下の人の意見を聞かない人が増えてくる傾向があります。ですから、私は岡山政経塾に入りましたし、
(テーマは都市政策で「子育てしやすい街づくり」でした)卒塾してからはOB会に入り、学びを続けるようにしています。
何かから卒業したら、どこかに入学出来るところはないかなと探しております。
どうして入学するところを探しているか? それは学ぼうとすれば謙虚にならないといけないからです。頭を叩かれることがなくなれば、人間どこかでおかしくなります。
「初心に返れ」を忘れないようにしたい、そんなおやじでした。

学べば何か知識を得るし、映画を観た、コンサートに行った・・すべてが感動につながります。感動する心がなくなったら、人生は砂漠になりまっせ。感動がない仕事は不毛です。感動のない経営、感動のない商品ではダメだからです。
人に触れ、感受性を磨くのです。生きることは感動することです。

そして、世の中というのは、多くの真面目な人たちによって支えられています。
「あぁ、真面目っていいな」と思いませんか。 報道やネットの世界では目を引くことが多いですが、それは日常ではないという証拠です。
どれだけ多くの「真面目」が世の中を支えているのかは、当たり前すぎるから報道されないのです。
だから自分が「真面目」だと思う人、あなたに私は感謝を捧げます。
あなたが社会を支えてくれているのです。「真面目」って、とても素敵な生き方なんです。

おやじのように、入学と卒業の繰り返しを意識していると、生きているから、自分には何が出来るかを考えるようになります。現代のように変化が激しい時代に、自分に軸があるとブレなくなりますから、心が楽になります。
感動する心を大切にしていれば、日々感動のリフレッシユするということになり、自分の周りにある良いことを探すようになります。
よく、隣の芝生が青いといいますが、自分で判断しなかったり、冷静に判断する学びをしていないから、他人がうらやましくなるわけです。

ある意味、旅に出るということも入学であり、家に帰って卒業となります。
たとえば、外国に行ってみて、「あぁ、日本に産まれてよかったな」と感じたり、家の近くにある自然を「あっ、フランスと同じ風景」と感じることがあるでしょう。
旅に出たから、これまで見ていた風景に「気づき」が生まれたのです。旅に出るから、初めて気がつくことがあるはずです。

これ、自分とは違う人と出会うから、初めて自分という存在をあらためて見つめ直して、自分が見えてくるということです。
他人がいるから自分がいる。誰かと出会うことで自分が何者であるかがわかる。
自分探しなんてムリということです。以前、自分は探すものではなくて「創る」ものだと申しあげたことがあります。人と出会うことです。感動を持って人と出会いましょう。

皆さん、日々がただ過ぎ去っていると思うのではなく、こんな見方をしてみませんか。
卒業に感謝をこめて。そして、ありがとう。新しい出会いに新たな感謝!

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