2007年6月8日

スポーツマンシップについて考えてみる

ゴルフの石川遼選手、早稲田の斉藤投手など、「爽やかな」青年を拝見することが多くなりました。スポーツという「勝ち」か「負け」かというシビアな世界に おいて、礼儀を大切にし、相手に対する思いやり、それでいて真摯な態度で競技に臨むことが、皆さんの心をとらえているのではないでしょうか。

最初に・・スポーツの世界のシビアさを確認してみましょう。
私はバドコーチ補助をさせていただいたときに、ある大学の心理テストを受けました。自分が勝負にこだわるのか、協調性があるのかなど、たくさんのテストを受けていきます。
テスト項目ではないけれど、例題としてその中にあったのが「テニスコートが1面ある。選手は6人。コートに入れるのは4人。あなたはどうするか」という問題です。
「クジやじゃんけんなどで順番を決めて、不公平がないように練習する」というのが、私たちの考える「フツー」の答えではないでしょうか?
出題者から言われたコメントは「日本でトップになるような選手は、私はずっと練習を続けるから、周りが替わってね」という意識なんだそうです。
さすがに世の中のルールがありますから、露骨に言わないですがそのような意識の持ち主でないと、試合に勝てないということです。

野球にしても、高校から選抜されプロになり、そのプロの世界でボジションを得るのは並大抵なことではありません。アマチュアが試合に出るのとは違う、まさに「弱肉強食」の世界がプロスポーツということを知っておいてください。
(そんな選手を統率するのですから、サッカーも野球も監督は大変ですな)
そんな過酷な状況の中にいても、「心」が人を感動させるのでしょう。
それが「スポーツマンシップ」だとおやじは思います。

スポーツマンシップは、ビクトリア朝イングランドで生まれた概念だそうです。
国家の発展成長を維持するために人材を育成する、パブリックスクールで完成された考え方だとか。イングランドという国が成功してきたのは、植民地経営の成功であり、それを実現させたのはミドルマネジメントの成功という評価があるのです。すごい背景ですね。
人材に必要なのは、「判断力」と「決断」です。
何かトラブルがあると頭で考えるだけでなく、判断を実践に移す「遂行能力」を修得させることに理想的なソフトとして「スポーツ」と言う概念を完成させたといいます。

スポーツだけでなく、人生においても「勝つ」か「負ける」かということは大きな問題ですが、どんなに汚い手を使っても「勝てばよい」というのでは、「負け」と同じことになります。
勝利が評価されるためには、相手を「尊重」することが大切だと思います。

また、英語には”He is a good sport.”という言い回しがあります。
彼は信頼に足る人物だという意味です。
ある人が真にスポーツマンであるかどうかは、究極的には勝負に負けた時の態度で分かる。負けた時に素直に負けを認め、それでいて頭を垂れず、相手を称え、意気消沈せずにすぐ次に備える人が真のスポーツマンということです。欧米の評価基準でしょう。

ゴルフの帝王ジャック・ニクラウスは「勝負だから、プロだから勝ちたい。しかし、負けたとき、相手に対して賞賛の気持ちを出せないといけない」という主旨の発言をしています。
ジーコが選手の頃、イタリアに負け準決勝進出を逃したとき、イタリア代表のチーム・バスに乗り込みました。
試合中にジーコを蹴っていたジェンティーレに近寄り、ジーコは握手を求め、「ナイス・プレー!いいチームだ。絶対に優勝しろ」と言って帰りました。
いわゆる「スポーツマンシップ」の代表的で、感動的な場面です。
この考えが増えれば、競技レベルも上るだけでなく、その国と社会全体が随分と健全になるのではないでしょうか。

ある歴史家が、「偉大な国家を滅ぼすものは、決して外面的な要因ではない。それは何よりも人間の心の中、そしてその反映たる社会の風潮によって滅びるのである」
いわゆる美しい国、経済成長続ける国というものは、優秀な人材がいるものです。
そして、その「優秀さ」は、「スポーツマンシップ教育」が有効だということです。

つまり、スポーツマンシップの精神を国民が持てば、「美しい国」になれるということ。
安倍さん、聞いてますかぁ?

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