2005年11月24日

霊について 〜おやじの私見

最近ではスピリチュアル、相変わらずの陰陽師、金縛りなど霊に関するテレビ番組は減りませんな。
おやじの周辺に、霊感が強いと自称する友人もいます。
自分の周囲に存在する霊に対して、どのような考え方でいるべきでしょうか。

テレビに関しては、視聴率がとれるから番組を作っているだけのように思えてなりません。
たとえば、エリア51に宇宙人はいませんが、この特集をすると視聴率がとりやすいとか。

因縁やたたりの共通点としては、「はじめに恐怖」ありで、なんとかしないと悪くなる。そして、救いの方法は仏壇やお墓、ありがたいものの購入です。

先祖は兄弟がいないと仮定して10代前は1024人。20代前は209万7150人という多数であり、それだけ多くの先祖の責任をどうしてひとりが負うような流れになるのでしょう。

水子供養にしても、新しい宗教が作り出した側面が強いのです。
岩波仏教辞典によりますと、供養のために地蔵を祀る風習は江戸時代からありましたが、1970年代からは、水子の祟りを鎮めるために地蔵を祀るという信仰が一部の寺院や教団を介して広まってきていて、昔の水子の概念と現代との違いが述べられています。

つまり、昔は水子が祟るという考え方がなかったようです。
また、ある辞典によりますと、仏教寺院における水子供養開始の年代は、ほぼ昭和50年を境に始まっているとあります。
ということから、水子供養の関心の高まりは1970年代に入ってからと考えても支障はないでしょう。

弘法大師は、たたる霊、たたらない霊という教え方をしていません。亡くなった方は、成仏に向かいます。亡くなった方は残された家族の幸せを願うだけなのです。
祟りが言われ始めたのは江戸以降、水子霊は1970年代に入ってから。それは我欲を持った世の人が作り出した幻想。架空の話というと過激でしょうか?

霊視や除霊には、何故高額のお布施や玉串が必要なのか。自我を捨てるためと説明する寺院の自我=お金というのは極めて短絡的思考で、拝金主義に感じませんか。
仮に先祖の悪行を鎮める必要があるとして、子孫の社会貢献や人の道を大切にした生き方で応えるべきだと思います。

仏教はもっと根源的なところで自我を問題にしているはずです。
無我を説き、空の世界に徹する本真の仏教からすれば、タタリ信仰はいかがなものか。
そして、お金で解決できるという考え方そのものが仏の慈悲に反していると思います。
たたりについても、あなたが、子孫や子供にとりついて不幸にしようと思いますか?
恩義のある先祖を金儲けに利用して因縁話を作ることは、先祖の恩を仇で返すもの。
キリストや釈迦が、人を呪ったり、高額な救いの代償を求めるでしょうか。
人生を正しく生きることが、先祖供養だと考えるおやじです。
ちゃんちゃん。

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