「事上磨練」(じじょうまれん)

「事上磨練」 
中国の十六世紀の思想家、王陽明の言葉です。
「人はすべからく事上に在って磨練すべし」。
これは、事上とは実際のことにあたりながらという意味です。
学問や理念というものは、日常生活から離れたものでなく、
日々の生活や仕事の中で自らを磨かなければ成果が上がらないということを教えています。

どんなに素質を持っていても、磨かなければ力を発揮することは出来ません。
10の素質を持つ人でも甘えていれば2か3の力しか出せません。
素質に恵まれていなくて、5の素質の人が磨く努力を続ければ7や8の力を出すことが出来ます。
大切なのは自分を磨く努力であり、素質ではないということです。

その意味において、勉強すること、本を読むこと、良き友を持つことで、
お互いを高め合うこと、先輩などから知恵を学ぶことは基本として大切です。
でも、どれだけ勉強しても知識だけではダメなんです。
テニスが上手になりたいからといって、本を読んだだけでは上手になれません。
コートに入り、ボールを追いかけ、汗を流し、
負けた悔しさからさらなる技術を求めようとするから、テニスは上達していきます。

毎日の仕事という「事の上」で、自分を鍛える、
つまり「練磨」することを忘れてはいけないよと、古人が示してくれているのです。
営業、経理、企画、編集など、毎日の仕事の多くは同じ作業の繰り返しです。
仕事を単調なものとして受けとめてしまうと、マンネリとなり、自分を磨くことになりません。
つねに意欲を持つこと、積極的な取り組むことで、何かがつかめます。
その何かをつかむために意識せよということです。

テニスということでは、松岡修三さんがわかりやすいと思います。
一球一球の大切さを知りなさい、何気なく打っているのでは上達しない。
どんな球でも見極め、どのように打ち返すのか、
そのときの姿勢は、フットワークは、グリップは・・・と「事上磨錬」することで、
新しい自分をつくることが出来るよ。おやじは、そのように考えています。

日々の電話でのやりとり、書類の整理など、仕事なんてつまらないと思うのではなく、
自分を磨いてくれる作業と考えて対応していくとき、新しい扉が開くと考えます。
最初から光っている球なんてありません。みんな磨いて、鍛練してきたから光るのです。
学ぶ努力を怠らないようにしたいものです。

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